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紙芝居 子生谷戸、児松下、女郎松(表示されている絵の下に解説文があります。)

@↑ 青葉区 鉄町(くろがねちょう)の子生谷戸、児松下、女郎松の伝説

子生谷戸、児松下、女郎松とは、鉄村の地名(小字名)で子生谷戸の地番は2397〜2422、児松下は2297〜2388、女郎松は老松嶺2389〜2450
の嶺の松のことで、現在この地域は嶮山地区住宅造成により開発され昔の面影はありません。

A↑昔、鉄村(くろがねむら)子生谷戸(現在のすすき野3丁目)には哀れな伝説が残されている。この辺りは鉄村の北方に位置し、他村も同じ
様に山深いところで地元の人でさえ道を間違えることがあったそうです。江戸時代の中ごろ、江戸の澁谷村(現在の東京都渋谷区)で茶屋の
飯盛り女、カヤ(仮名)が茶屋のそばに住む大工職人、生三郎(仮名)と懇意になり妊娠し、駆け落ちをした。

B↑二人は追手を逃れながら裏街道を上方(西方面)へ向かったが、どこで道を間違えたか石川村(現在の元石川帳)から黒須田村(現在の
黒須田町)の坂を越えて鉄村(現在の鉄町)の奥地の山林に迷い込んだ。太陽が西に傾いた頃、慣れない旅の疲れかカヤはにわかに腹痛を
起こし産気づいてしまった。生三郎はおどろいたが山林の中なので人家も見当たらず、まして方角も分からずそのまま一夜を過ごす事とした。

C↑生三郎は夜明けを待った。川(黒須田川)に沿って下って行けば人家があるだろうと思い、急ぎ足で下って行った。そこで農家を見つけ農家の
主婦に事情を話しお産の手伝いをお願いしたところ快く引き受けてくれた。、

D↑そして主婦と一緒に山林に戻った。間もなくカヤが無事出産したので、農家から食料を分けてもらいました。雨風をしのぐ小屋を作り、暫らく
安静に過ごす事にしました。しかし、カヤは産後の肥立ちが悪く、衰弱し嬰児(えいじ)も栄養不良で母子ともに2週間ほどで亡くなって
しまったという。カヤは遊女まがいの仕事で、誉められるほどの人間ではなかったが、愛する人と幸せを求めて出奔したものの運命の
悪劇が薄幸を背負ったまま絶命してしまったと伝えられている。

E↑生三郎は悲嘆にくれながら厳かに母と子を嶺の松のふもとへ、少し離して埋葬した。

F↑その松は薄幸で哀れな二人をかばうかのように大きく長い枝をいとおしそうに差しのベていたと言われる。

G↑生三郎はしばらくその所に住んでいたが、お世話になった農家に行き、丁重に挨拶をした後どこかへ立ち去ったと言われている。その後
この近辺に農耕等で来た人々はこの地を「老松嶺」(ろうしょうれい)と呼び、この嶺の松を「女郎松」(じょろうまつ)と名付け母子の冥福
を祈ったという。雨風をしのぐ小屋を作ったところを「子生谷戸」(こうみやと)と呼び、母子を埋葬した松のふもとを「児松下」(こまつした)
と呼んでいた。子生谷戸、児松下、老松嶺は現在の鉄町の小字名《地名》で、今ではこの地域は嶮山地区宅地造成により閑静な
住宅街となり昔の面影を見だす事は出来ません。